暮らしのノート

神戸から綴る日々のこと

海と祈りのかたち

先日、久しぶりに会った友人と、お互いの近況を話していました。彼女は昨年お母様を亡くされて、この一年は気持ちの整理をつけるのに時間がかかったと言っていました。

話の流れで、お母様の供養のことになりました。お墓は地方にあって、なかなか足を運べないのが心苦しいとのこと。年に一度帰省できればいいほうで、管理のことも気がかりだそうです。

変わりつつある弔いの形

私も同じような悩みを抱えています。実家のお墓は遠方にあり、年齢を重ねるにつれて、往復の移動が負担になってきました。かといって墓じまいを簡単に決められるものでもなく、ずっと曖昧なままにしています。

友人は、最近いろいろ調べる中で、散骨という選択肢があることを知ったそうです。お墓を持たず、自然に還るという考え方。海が好きだったお母様には合っているかもしれないと、少し考えているようでした。

海への散骨ということ

散骨と聞くと、以前はどこか特別な人がするものという印象がありました。でも話を聞いていると、最近は選択肢のひとつとして考える方が増えているようです。

友人が見ていたのは、広島で海洋散骨を行っているところのサイトでした。瀬戸内海の穏やかな海で、家族だけで静かに送り出すことができるそうです。

参考までにURLを教えてもらいました。広島の海洋散骨について書かれたサイトです。私も少し読んでみましたが、押しつけがましくない文章で、こういう選択もあるのだと素直に思えました。

正解はないけれど

弔いの形に正解はないのだと思います。お墓を守り続けることも、新しい形を選ぶことも、どちらも故人を想う気持ちに変わりはありません。

ただ、遠方のお墓に足を運べない罪悪感を抱え続けるより、自分にできる形で手を合わせられる方法を選ぶのも、ひとつの答えなのかもしれません。

友人との会話は、私自身のこれからのことを考えるきっかけにもなりました。まだ何も決めていませんが、いつか家族と話し合う日が来るのだろうと思います。

海を眺めながら手を合わせる。そういう祈りの形もあるのだと知れたことは、心のどこかで少し楽になるような気がしました。